見上げた空は何色

いろんなことをつらつらと。

象徴的建築とアイドルのセンターの話。

 卒論が進まないからといってこうしてブログに逃げることは大変よろしくない。このままでは週末の武藤彩未ちゃんのライブにいくことすら危うくなってくる。毎晩日本酒を飲んで現実逃避行をし目をつむっても、次に目を開けたときにはカーテンの向こう側、太陽が昇っているのだ。夜がくれば朝もくる。頭ではわかっていてもなかなか体はついてこないらしい。

 

 

 原著を読もうと思っていていつも買うのを忘れている本がある。

 ケヴィン・リンチ『都市のイメージ』である。私の専攻は都市計画、この分野を学ぶときにこの人の存在を知らずには生きていくことはできないだろう。ほしいものリストに入れていることはおいといて、今回の話。そう象徴的建築(ここまでは真面目に感じる)とアイドルのセンターの関係性(ここの落差がひどい)をいつものようにアイドルヲタク脳で書いていくことにする。

 

  •  象徴的建築は都市再生の核、ということは?

 イギリスでは衰退した都市を再び活気をもたらすために「文化」を核とし、その中でも卓越したデザインの建築により地域のイメージを一新する手法が多く取り入れられた。象徴的建築は画一的な都市空間の形成の進行、機能主義的な建築の増加に対する反動であるとも指摘されている。「文化」は創造性を生み、象徴的建築はその地域の人々が帰属意識を持つようなシンボルとなると期待されている。

 象徴的建築の意義、役割は都市の「イメージアップ」「ブランド力向上」に貢献し、観光などを呼び込み地域再生を図ることであり、都市の発展に欠かせない要素なのである。*1

 私も宮島口活性化の講義ではこの論文で述べられているような「象徴的建築」をすればよいのではと、38.4mのタワーか和風の観覧車を作ろうとプレゼンをした覚えがある。ちなみに38.4はモーニング娘。9期メンバーであり広島県出身の鞘師里保さんの「さやし=384」という単純すぎる数字であった。地盤特性もなにもかもを無視した考えは夢があって楽しい。

 この考えをアイドルに当てはめたらどうなるだろうか。

 ソロアイドル以外のグループアイドルは、全て「箱もの」という空間であると私は考える。モーニング娘。という「箱もの」の中にその箱ものの要素である「ランドマーク」=「象徴的建築(一人ひとりのメンバー)」こういう認識が合うのではないだろうか。しかし決してグループのメンバー一人ひとりがランドマーク、象徴的建築になれるかどうかはわからないし、そこがアイドルの話をする上では外せない「センター」の素質がかかわってくるのではないだろうか。

アイドルグループという「箱=街」づくり

 まずは大本である箱、まちを作らなければならない。オーディションでもスカウトでもいい。顔がかわいく、まあまあ歌も下手ではなく、軽いダンスも足がこんがらがることが少ない子をとろうという項目をつくる。これがマスタープランになる。実際の都市計画でもマスタープランは絶対に必要だ。しかしこれは要素がそこに存在するという前提からはじまる。アイドルの場合は、箱づくりとともに要素の選定をしなければならない。ではここで「象徴的建築」である「センター」の素質がありそうな子を発見することが出来たならば、その子を中心とした箱づくり、まちづくりが始まる。だがまちづくりとは違い、アイドルの「象徴的建築」は「人間」である。大体最近のアイドルは若すぎるゆえに周囲の重圧に耐えられず卒業や芸能界を去ることが多い。強靭な精神力がアイドルとしての「センター」として強固な構造をつくることには違いない。

 こうして箱が作られれば、「象徴的建築」とともにその空間を作り上げる「要素」が誕生する。名もなき要素になるか、象徴的建築とは違う色を生み出しそれに負けぬ要素になるかはまさに努力しだいである。数が少なければそれぞれが目立つことになるだろうし、そこに慢心や粗があれば見向きもされない箱になることは容易にわかる。

 ここまでえらく長々と書いてしまったが、要するに「センター」はすごい。そしてそれを彩る「要素」もすごい。結局はセンターだけが輝いていても、それはただの張りぼてであり破綻するのは時間の問題なのだ。

 まち、だってそう。

 しかし若い子がこんなにがんばっているのに私はよくわからない実験ばっかりやっているし、同じ世界に住んでいるとは到底思えない。週末の彩未ちゃんの楽しみだけが毎日襲う胃痛への薬なのである。

*1:英国の都市再生における象徴的建築プロジェクトに関する研究 安齊 真吾 2012.2